◆無声映画期の映画上映
映画の草創期、まだフィルムに音がなかった時代、日本の映画館では、必ず、スクリーンの横に活動弁士(映画説明者)がいて、その語りと楽士の生演奏が付き、にぎやかに映画を楽しんでいました。
西洋を中心とする他の国では、映像表現が発達するにつれ生演奏だけで見るのが一般的になりましたから、「活弁」は語り物文化の発達していた日本独特の映画文化といえます。人形浄瑠璃の人形が、歌舞伎の役者が、見世物小屋の見世物が、江戸時代からの幻燈が、動く写真「活動写真」に替わったというだけで、生の語りの付いた映画上映を日本人は当たり前のように楽しめたのです。
テレビのない時代、唯一「映像」を見られるのが、活動写真館、映画館であり、地方では芝居小屋や、学校、集会所などでの上映会でした。中央の映画館は、洋画の専門館、邦画現代劇、時代劇とそれぞれのジャンルに分かれ、映画館付きの弁士が腕を(語りを)競い合っていました。
最初に短いニュース映画、漫画映画や短編喜劇が上映され、長編の本命映画上映となります。幕間には、おせんとキャラメルなどの売り子が歩き、楽士の生演奏を聴く事もできました。当時、クラシック演奏などに親しめる一番の場所でもあったのです。
◆映画説明者―弁士の活躍
無声映画には、音がありません。サイレント時代後期は、音楽のみのサウンド版が出ましたが、セリフ(声)はありませんでした。ところどころに、多少の状況説明と登場人物のセリフを書いた字幕があり、それをもとに見進めていくことになります。
弁士は、その説明、解説をする人であると同時に、自分のセンスで登場人物のセリフを巧みに入れ、その話術によって映像世界をナビゲートする役目でありました。ですから、同じ作品も、弁士の語りによって、全然印象が違います。面白くも、つまらなくも、わかりやすくも、嬉しくも悲しくもなるのです。
同じ映画がいくつかの映画館で上映されますから、当然、客が入るか否かは、弁士の力量にかかってきます。客は人気のある弁士のところへ押しかけますし、映画館の弁士引き抜き合戦も、勢い白熱します。
職業弁士は、おおむね最初は前座のニュースや漫画などの短編から始まります。次第にメインの作品を語れるようになり、主任弁士ともなるとクライマックスシーンが語れるといった具合で、人気が出ればどんどんお給料も上がりますし、次の映画館へヘッドハンティングされるごとに月給もよくなりました。当時は人気弁士の番付表などというものもあり、トップクラスの人気弁士は、有名スター俳優や時の首相ほどの月俸をもらっていたそうです。
当時映像はこれだけですから、ある意味、現在のアナウンサーであり、ナレーターであり、コメンテーターであり、アニメや吹き替えの声優であり、シナリオライターでもあり、語り部であります。人気弁士の服装が流行スタイルになっていたとか。とにかく人気の職業だったのです。
全盛期、昭和5〜6年頃には、全国に8000人もの弁士がいたといいます。しかし、発声映画(トーキー)が出現し、輸入され、上映されるようになると、日本もその波に押され、楽士が解雇、弁士も時代の流れには逆らえず、廃業、転身を余儀なくされました。
◆ 無声映画の特徴と魅力
無声映画は、音がない分、撮るほうはわかりやすい構成やカットの重ね方を工夫しなければなりませんし、俳優は、表情とアクションで、感情や人物の状況がわかるようにしなければなりませんでした。わかりやすく、少々オーバーな表現ながら圧倒的な演技力と迫力を見せてくれる俳優もたくさんいます。CGなどもちろんない時代ですから、体を張ったアクションシーンや苦心したトリック撮影は、今見ても感心します。
その時代の最先端の技術と、その時代の風土、文化が映し出されている映像は大きな魅力ですが、技術的、歴史的な面ばかりでなく、作品の創造性や芸術性、エンターテインメント性においても優れたものがたくさんあります。
テーマや、描かれる人の情、機微などは、今となんら変わりません。単純で、表現がストレートな分、胸を打つものもあります。
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